浦和地方裁判所 昭和34年(わ)640号 判決 1960年11月28日
被告人 大村進次郎
大一〇・九・三生 無職
主文
本件公訴を棄却する。
理由
本件起訴状に示された公訴事実は「被告人は日本人であるが、昭和二七年二月頃から昭和三四年一二月上旬頃までの間に、有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦内より本邦外の地域である中華人民共和国におもむく意図をもつて、出国したものである。」というのであるが、検察官は第一回公判期日に「本件の訴因となる被告人の不法出国は、昭和三四年一二月一三日オランダ汽船ギーセンカーク号に乗船し、天津新港を出発し帰国したそれに対応する出国であつて、右期間中最後の一回の密出国を対象とするものである。」と釈明した。しかしながら本件公訴事実は次の理由から、特定しているとはいえないので、不適法としてこれを棄却する。
(一) 本件起訴状のような巾広い期間では日時を特定したとはいえないし、たとえこれに帰国に対応する最後の出国というようなことを付け加えてみても、そのことは観念的で、外部から認識もできず、何等具体性がないから、その期間内の出国でさえあれば、どの出国についても、それを帰国に対応する最後の出国であると主張し、立証し、認定する余地がある。従つて判決確定後被告人がその期間内のある特定の時期に出国したことが判明した場合、出国の時期が判明しただけでは、その時期が帰国直前でもない限り、それが最後の出国であるかどうか区別することができないことになる。このようなあいまいな方法で特定することは特定にならない。(東京地裁刑事八部昭和三五年二月二六日判決参照)
(二) 本件について、公訴事実が特定されたものと解し、有罪の確定判決があつた場合、たとえ同一期間内の具体的な日時を指定して再び起訴された場合でも、それが同一期間内の日時であるかぎり裁判所は二重起訴として免訴の判決ができるから不都合はないとする考え方がある。(横浜地裁昭和三五年四月一五日判決参照)しかし二重起訴になるのは、その公訴事実が以前の審理判決を受けた公訴事実と同一性を有する場合に限る。そもそも日時の記載は構成要件該当事実を特定するための一つの要素にすぎない。罪となるべき事実は構成要件該当事実である。従つて日時の表現方法としてある一定期間を用いた場合に、同一期間であるからといつて同一の犯罪事実であると推定するのは暴論であろう。本件の如く、巾広い期間でもつて日時を記載した場合は、同一期間内で二回以上の出国が充分可能である。一つの出国が一つの公訴事実となるのであるから、同一期間内だからといつて公訴事実がすべて同一性を有するということはできない。従つて同一期間内の日時であるという点だけでは二重起訴として免訴するわけにはいかない。
(三) 或は、後の起訴が確定判決を経た出国の事実と異る別個の出国の事実であることの挙証責任は検察官にあり、検察官が別個の出国であることの証明ができない場合は、被告人に有利に解して免訴できるから差支ないと主張する者もあるが、裁判所は確定判決を経た疑があるだけで免訴の判決をすることはできない。確定判決を経たものであることについて、合理的な疑を容れない程度の、心証を得ないかぎり免訴はできない。
(四) 訴因を特定する場合、構成要件に該当する事実(これが訴訟における審理の対象であるが)を、日時、場所、方法等いわば構成要件該当事実に対して附随的な事実で特定する。従つて他の同種の犯罪事実と区別するにはそれぞれの附随的な事実を比較することによつて区別するのである。出国の事実を「帰国の原因となつた出国或は帰国に対応する出国」というふうに帰国の事実でもつて表現した場合には、明確な日時場所等でもつて表現された他の出国の事実と区別するには、「帰国」という事実と、構成要件に該当する他の出国の事実に直接に附随する事実たる「日時、場所」等の事実とを比較することになる。しかしながらこの二種類の事実の間には比較すべき共通の基礎はない。比較をするには、日時に関してはその日時にちがいがあるとか、場所に関してはその場所にちがいがあるとかいうように共通の基礎で比較をしなければならない。帰国の事実をいくらはつきりと記述してみたところで、帰国の原因となつている出国の事実そのものの日時、場所等が判らないかぎり、比較のしようがない。しかも最後の或は帰国に対応する出国というような表現は論理的、観念的には特定が可能のようにみえるが何等具体性なく外部から認識できないこと前述のとおりであるから、両者は比較のしようがない。従つて、日時場所を明確にした他の出国の事実が、前に確定判決のあつた明らかにされている帰国の事実に対応する出国の事実ではないとはつきり云い切ることはできない。
(五) このことについて、二度出国の問題が生じたとしても、本件における出国の事実は特定の帰国という事実を利用して特定された関係上、本件期間内における他の出国も本件の帰国以外の特定の帰国の事実により特定する以外には本件公訴事実と異なる出国の事実を特定し、主張することが困難となるから不都合はないと考える向もあるが(福岡高裁昭和三五年八月二五日判決参照)本来事実はそれ自体を日時、場所、方法を明確に示すことによつて特定でき、且つこの方法によつて他の事実と区別できること何人も異論はないにかかわらず、たまたま事実の不明確な確定判決あるため、これと区別できないから特定できないとするのは本末顛倒の考え方であると思われるがかりに今後の起訴に対してはそのような方法で不都合を避けることができるとしても、帰国の事実でもつて間接的に出国の事実を特定する方法による起訴を、訴因が特定されたものとして、実体審理を進めた後に、同一期間内の具体的な日時でもつて特定された訴因による有罪の確定判決が、後の起訴以前になされていたことが判明した場合、如何に処置すればよいのであろうか、(四)に述べた理由から、後の起訴が以前の確定判決と同一犯罪事実について起訴したものか否か、即ち免訴すべきであるか否かを判定することはできないであろう。
(六) 刑事訴訟法第二五六条第三項後段には「訴因を明示するには、できるかぎり日時、場所及び方法をもつて罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。」と規定されている。ここで、訴因の特定方法として、犯罪事実の日時、場所及び方法をあげているのは、単に訴因の考え得る種々の特定方法のうちのいくつかを例示しているとみるべきではない。そもそも訴因の特定は判決の既判力の及ぶ範囲、免訴の判決、二重起訴等の問題に重大な影響を及ぼすものである。従つて、これ等の問題について、後に争の生じないような程度に訴因を特定しなければならないのは勿論である。しかし法文が訴因の特定方法として、犯罪事実の日時、場所及び方法をあげているのはこれだけの理由のみではない。起訴状における訴因の記載は今後の訴訟の審理の目的ともなり対象ともなるものである。従つて、単に抽象的、観念的に記載されるのではなく、できる限り日時、場所及び方法をもつて犯罪事実を直接に具体的に特定するものでなければならない。つまり犯罪事実を被告人も含めた訴訟関係者がある程度具体的に認識し得るものでなければならない。このことは被告人の防禦の利益のためにも必要なことである。日時、場所、方法は構成要件に該当する犯罪事実そのものではないが直接的に犯罪事実を他と区別するものであり、従つて同時にそれ等でもつて犯罪事実を具体的に認識し得るものである。従つて刑事訴訟法第二五六条第三項に訴因の特定方法として、犯罪事実の日時、場所及び方法をあげているのはこのような理由からである。しかるに本件起訴のように犯罪事実たる出国の事実を特定するのに、直接に出国の日時、場所及び方法をもつてするのではなく、間接的に帰国の事実でもつてするのは、たとえそれが論理的には出国の事実を特定し得るとしても、それによつて出国の事実を何等具体的に認識し得るものではないから妥当ではない。
要するに、本件起訴の如く出国の時期を具体的な日時で指示することなく、巾広い七年一〇ヶ月の期間だけで指定し、帰国に対応する出国という特定方法で出国の事実を表現するだけでは訴訟法で要求されるだけの訴因の特定性を欠くものといわなければならない。従つて本件公訴は、その公訴事実、訴因が全く特定せず、公訴提起の手続がその規定に違反したため無効である場合と認められるので、刑事訴訟法第三三八条第四号により棄却することとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 西幹毀一)